雑記ブログ なぜ俺のブログ読まれない

読んでほしいけど読まれない…… どうすれば読者が読みたいブログが書けるか考える。ついでに日常も語るブログ

障害者は生きる価値はないと、被害妄想に陥った自分を救ってくれた本

はい、精神障害者です。

 

昨日は生きるのが辛くなりました。ふと、自分の過去を振り返ると、いじめ、パワハラモラハラにくじけ、統合失調症を患ってしまいました。さらに糖尿病にかかります。近所にバカにされます。

 

何連コンボで人生ボコボコにされたんだ自分は、と自虐的になりました。

 

そこで苦しくて、PCの前で検索をかけました。

 

精神障害1級 生きる価値なし?」

 

と。

 

コロナ禍や日本経済ひっ迫の昨今、老人や障害者に多額の福祉を与えていることに疑問を覚えた日本社会に生きるのが辛すぎます。

 

確かに私たちは生産性のない人間です。

 

老人の方々は過去に日本を支えた功績があるものの、障害者なんて何の価値もないだろうと、私自身も思ってしまいました。

 

自分で自分の存在を否定させるこの国について、立ち直った今日の私は、いかがなものかと思いました。

 

そこで障害者も社会の役に立っていること、いくつか挙げてみます。

 

自分みたいに障害者はだめだと責めている方、特に読んでいただきたいです。

 

日本財団の記事、冒頭の本の著者「渡辺一史」様のを読んだ後なので、かなり文章の内容に影響を受けてしまいました。私なりに、「障害者視点」で渡辺一史様、並びに鹿野靖明様の話を参考に記事を書きます。)(参考図書:こんな夜更けにバナナかよ)

 

 

障害者が生きづらい世の中を生きやすくした

駅がバリアフリーになったり、エレベーターがついたり、何かと便利になりました。

 

そのほかにも、ショッピングモールにも点字ブロックがついたり、犬も一緒に入れるお店が出来たりと、便利なところ、楽しみが増えました。

 

これら障害者にも優しいですが、ペット大好きな方や旅行者にもとても親切なことですよね。

 

これらは元来、障害者の10年以上の歳月をかけた嘆願書によるものなのです。

 

「障害者はなんてわがままなんだ」

 

そう思う方がいてもおかしくないでしょう。

 

私はこのことを知ったとき、ちょっと違うなと、思いました。

 

私が精神障害にかかる前は、「この嘆願書は一生かなわないけど、なんとかならないかな」と、結構冷たい考えを持っていました。

 

実際叶って、障害者も健常者も頻繁に駅のエレベーターを利用しているところを見ると私は、「私のほうが考えが浅かった」と、反省しました。

障害者は聖人君子ではない

私の場合、上手く物事が行かないと寝ます。

 

ひたすら寝ます。

 

バカみたいですね。いや、バカです。

 

で、質問です。あなたは天才、凡才、バカだったらどれですか?

 

おかしなことに健常者は自分自身のことをバカを選ぶくせに、障害者を「バカ」とよぶのです。

 

私からすれば健康なんて羨ましいのに、なぜ私を「泣きっ面にハチ」状態にするのか?

 

不思議ですよね。

 

そして障害者同士でも同じです。多少能力が優れている人を、「バカ」呼ばわりする障害者もいます。要はひがみなのです。

 

健常者のひがみは少し違います。健常者社会の中にも階級があって、障害者をバカにすることで自分たちのヒエラルキーを上げ、アイデンティティを保ちます。

 

障害者同士ではどうでしょう。全体を把握は、私もできません。しかし、「ひがみ」、「そねみ」、「ねたみ」は必ず存在します。

 

全員が仲良しこよしではありません。

 

さらに私の場合は病気によって、「被害妄想」も働きます。自分で自分を残念な人だと思ってしまうのです。

 

障害者は弱いです。その弱みにつけこむのは、健常者だけではないです。障害者同士でも、やってしまいます。

 

さらに、自分で自分を落とし込むこともしてしまいます。

 

障害者が自殺をすることは、ばかなことでしょうか?

 

病気がさせた、社会がさせた、私はそんな風に思います。

障害者は素直に生きていきたい

では、障害者が楽に暮らすにはどうしたらいいでしょう。

 

先の二つのことを踏まえて言います。

 

「辛い生活を素直に辛いと発すること」

 

「嫌いなことは嫌いと伝えること」

 

素直に、あるいは自分に対して「あるがまま」でいていいと思います。

 

「ここに行きたい」、「この言葉は自分にはひどい」

 

そういうことをどんどん発信したらいいと思います。

 

私は統合失調症です。幻聴(病気の症状)で、「気持ち悪い」と、よく言われます。

 

それを「すごく辛い」と、発したいのでここで書きます。

 

学校でいじめられている健常者の方はいかがでしょうか?

 

「気持ち悪い」と言われて気持ちがいいでしょうか?

 

そんなわけありませんよね。

 

こういうことは障害者が強く言うべきなのかもしれません。

 

「俺は気持ち悪くないぞー!お前らの言葉は人を傷つけているのわかれ!」

 

ちょっと言葉は上手くないけど、このようなことを強く発信できるのはもしかしたら、障害者のほうかもしれません。

 

最近では言論の自由と言葉の暴力の見境のできない人が増えています。子供だけでなく、大人もです。

 

もっと責任をもって、その人のためになるか、ただのいじめや殺人か判断していただきたいです。

障害者は楽しく生きてよい

以上のことから、障害者には生産性はないかもしれないけど、発言の強さはあると、私は信じます。

 

長い時間はかかるかもしれない。

 

しかし社会を豊かに、便利にした実績があります。

 

さらに健常者には特典もあります。

 

障害者に優しくすると健常者は良い人間性を持っていると思われます。

 

障害者はそういう意味では、健常者に遠慮しなくていいと考えます。

 

障害者がわがままを言えば言うほど、健常者の精神は鍛えられます(ちょっと違う気もしますが笑)

 

そういえば、自分が健常者だったころ、障害者のボランティアに行ったときに教わった言葉があります。

 

「ボランティアの人は主役ではなく、その団体の名わき役であること。主役は障害者であり、障害者主体で活動をするところだ」