雑記ブログ なぜ俺のブログ読まれない

読んでほしいけど読まれない…… どうすれば読者が読みたいブログが書けるか考える。ついでに日常も語るブログ

いいことを実行に移せない人のつぶやき(自分)

2024.1.12

今日のつぶやきなんだけど、川口市クルド人の方々震災復興に一役買ったことを読んで思ったのが、「すごいな」、の一言だった。ある記事(はてなブログと連結している「埼玉新聞」より)

 

ただ、そこのコメントの一つに、この人負け犬の遠吠えだなーと思えたことがあった。

 

なんでも、「そうやって人気を買って日本にクルド自治区をつくるつもりだ」とのこと。

 

はあ。

 

すてきなことじゃないか?ねえ。

 

そんなくだらないこと言っている暇があったら、何か一つくらいいいことを実行すればいいのに。

 

ただの負け犬の遠吠え。くだらない日本人。

 

そりゃ、ここでこんなこと書いて毒だししている自分もくだらないと思っている。

 

俺だって、いいことして尊敬されたい。

 

羨ましいなら、やればいい。

 

でも、俺もいいことやってないんだよね。ちょっとうらやましいかな。

 

これも、妬みに入るのかな。妬みって、尊敬の裏返しのようにも思えるのだけど、やっぱりちょっと違うのかな。

 

素直に、「俺も参加したかった!」

 

こう伝えるべきだろうか。

 

災害救助や人助け、ボランティアは尊敬されるためにやるものではないかもしれない。

 

何かを助けたい、手伝いたい。その純粋な思いが活動として表れるものだと俺は考える。

 

だって、ワイドショー見て「あのひとすごいわねえ」ていうのは、ものすごく簡単だよね。

 

実際に行動に移すのって、結構大変だよ。

 

もちろん、手軽な人助けの方法だってある。募金とか。

 

「募金なんてつまんねーよ。誰でもできるだろ。」

と思っていたら大間違い。

 

募金が活動につながるのだから、立派な支援者の一人になれる。

 

だから俺は募金はした。感謝はされないけど、できることはした。

 

それでいいんじゃないかなあ。

 

いいことって見返りを期待すると、あまり大きなものもらえないよ。

 

見返りを期待しないから、感謝する人が表れる。そして、そのアンチも現れる。

 

長々と書いたけど、アンチってさ、かっこ悪いよね。

 

素直に「俺もできることならやりたかった」と、そういえばいいのに。